意味不明なレタッチ賛否論

一部のコミュでは、レタッチに対する賛否論があると聞く。

あまりに意味不明なのでそういう議論を覗き見したこともないw

そもそもそういうことの賛否論を言う人たちは、
暗室で自分でいろいろな現像液を試したり、
硬調にするために現像液の温度上げて時間を詰めたりとか
そういうことをやったことはおろか、
知りもしないのだろうと思っている。

銀塩時代に写真やってても、カラーネガ或いはポジであれ、
それが内式であれ外式(実質的にKM・KR系だけだが)であれ、
とにかくラボ任せで一意的現像処理をされて帰ってくる。
だから必然的に撮って出し的概念が刷り込まれ、せいぜいのところ、
アレンジするにしても印画紙を選ぶくらいになってしまうのだろう。

モノクロ処理なら、
1.フィルムの現像液の選択
2.そのフィルム現像液の使い方(原液か希釈か)
3.フィルム現像タンクとリールの選択。ベルト式かベルトレスか?
4.現像温度と現像時間のバランスおよび攪拌方法
5.印画紙の選択
6.焼付けの露光時間と現像時間と現像液温度のバランス
7.場合によっては覆い焼きをする。
8.温度の高い湯を指先につけて現像バットの中にある印画紙表面を撫でて部分的に現像促進をする
9.印画紙の乾燥後に面相筆に墨をつけてゴミ取り作業をする。
10.更にプロの写真館なら、フィルムの段階で修正用鉛筆を使って人肌の修正や集合写真などの顔の下の影などを修正する。

と、ざっと書いても上記ファクターで写真は明らかに変わる。

引き伸ばし機の選択・引き伸ばしレンズの選択というとんでもないファクターはさておく。

もっと言えば、どれだけ「撮って出し」を遵守しようと1〜6までは避けては通れない手順であり写真が変化するファクターになる。
だから同じカメラ・同じフィルムを使っても10人10様の写真になってしまうのだ。

以上のようなファクターが存在するのだから、デジタルで撮影したデータをレタッチすることに対する賛否論などというものはナンセンスそのものだと言いたい。

更に言えば撮って出しを是とする主張をする人は、カメラで撮影するときに露出補正やコントラスト調整、あるいはWBバランスの微調整も否定するのだろうか?

一定のルール上でコンテストをするような場合ならどこで仕切ってもいいが、何でもありの条件下であれば、後処理はどうやってもいいはずだ。

それゆえ、写真コンテストの応募規定などで「デジタルの場合、加工したものは不可」などとあれば、たとえ加工してなくても応募する意欲は無くしてしまうのだ。

私はどこまでが「加工」になるのかが本当にわからない。
ゆえに応募できないのだ。

銀塩なら多重露出も覆い焼きも焼き込みもOKだが、デジタルは「撮って出し」でなければならないなんて、全くナンセンスの一言だ。

昨春だったか、私の写真を評価して下さっている方から、直々に地元の観光写真コンテストに応募のお誘いがあった(主催関係者だった)が、適当な理由で遠まわしにお断りした。声をかけてくれた気持ちは心底有難いと思ったが、残念ながら応募できなかった。

(話はそれるが)実際のところはコンテストそのものに意欲がないのだ。年齢ゆえのこともあるが、実用素材としての写真を主として撮っているが、そちらに注力するとコンテスト用の画像を撮影する意欲が失せるのが実情なのだ。

(話戻して)そのコンテストの募集看板には、はっきりと「デジタルの場合、加工したものは不可」という規定があった。

私の写真で無加工というものはない。加工・無加工の区別の概念が全くないのだ。

もっと言えば、そのとき心眼で見えたとおりに直しているだけなのだ。案外直さなくていい画像も多いが、それは単なる偶然なのだと思っている。

それは人の顔形・ボディーラインも同じこと。だから、見えたとおりに補正する。写真レンズは原理的にも人間の眼および視神経と脳内で表現された映像とは違う。だから脳内で形成された映像になるように画像を歪める。もちろん、言わなけばわからないし、気づかれたことも一度もない。

ただ、パスポート用の画像とか加工が禁止されたような証明写真だけは無加工にしている。国によっては入管チェックでホクロの位置などが機械的に照合されるらしい。ならば、きれいにすることもできない。あるがままで、顔面をコンピュータ照合する以上、見るのが写真機だから証明写真も写真機で見たとおりでなければ一致しない。この場合写真屋にできることはレンズの選択、アングルの研究、証明の当て方は当然として、あとはトーンやコントラストや明るさ調整できれいにする程度しかできない。