読書感想文(梅棹忠夫編)

今月、大学時代の恩師、林尚孝茨城大学名誉教授から拝領した梅棹忠夫著の書籍、
・文明の生態史観 中公文庫
・知的生産の技術 岩波新書
の2冊について。

 この2冊は、いずれも日本語ローマ字表記という考え方で表記された本にて、久しぶりに楽器演奏での神経疲労のような思いをした。読み始めの初日は脳が膿みそうになった。

 翌日改めて著者の表記についての真意や当時のいろいろなことを考えた人々の模索・苦悩を思うに至り、やっと(スラスラとまではいかぬも)頭に入るような読み方ができた(トイレを書棚にしているような自分ではあるが、久しぶりに文字を読むことに疲労するという貴重な体験をしたw)。

 しかしながら、内容そのものは、この歳になってなお、とても興味を抱くものであり、私のように気に入った本を10年越しのスパンで読む人間にとっては、いささか出会う時期を逸してしまったような、ちょっぴり残念な思いを抱きながらまずは一読をした。この時点での読書感想というか印象を記しておきたい。


■『文明の生態史観』

 まさに、林先生をして『知の巨人』と言わしめるに相応しい大作と感じた。多面的切り口で世界を眺め、新たな課題を大量に提起している。

 古くは1950年代〜の調査・踏査・著作を纏めた書籍であるが、50年以上経った現代にも全く通用する観点・論点であり、一読の価値があった。

 もっと若い頃に読む機会を得られていればと思う部分が多々あり、いささか悔しい。

 民俗学的な部分はもちろんのこと、宗教と疫学の対比など、私個人としても、長年興味を持っていたテーマでの問題提起があり、実に読みごたえのある本だと感じた。

 この本に高校時代に出会っていたら、たぶん文系を目指し、さらに、もしかしたら人文学者を目指していたかも知れないなどと、初めて思ったような本だと感じた(でも頭悪く、性格悪い自分にはとうてい無理だったのだがw)。

いずれにしても本書はあまりに壮大・遠大であり、読み応えがありすぎて、感想文すらまともに書けない。

以下は読了後、改めてWeb上で検索したWikipedia以外の検索上位に位置したリストである。まだ読んでない。

http://bit.ly/9eWmbc
http://bit.ly/yYKXyb
http://cxrjk935.seesaa.net/
http://bit.ly/AAB8Yv
http://blogos.com/article/3180/
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51451856.html


■『知的生産の技術』

 1969年に初版し、(『文明の生態史観』もだが)2011年の今においても重版している名著と感じる。内容そのものは、今となっては大半が絶滅してしまった道具についての手法論だが、PCが日常生活に欠かせない現代においても、本書のような思考アプローチを持たない人種にとってはPCも全く役立たないということだけは言える。

 本書を読みながらいろいろと思い浮かんだことを書きたい。


・PRN電卓について
 もはや高機能電卓そのものが絶滅危惧種であり、大学や技術・金融関係ではTIとともに寡占状態であったHP社の電卓も、今となっては細々と末裔機種がなんとか作られているだけで、それもいつ無くなってもおかしくない状態。しかし算式入力方式の一般的な電卓と比べたら、仕事が早く間違いにくく、実に効率的であった。しかも不思議なことにRPNにいくら熟練しても算術方式の電卓でもさほど戸惑わないという経験もある。(本書ではもちろん触れられているような話題ではないが、私自身の経験としてなぜか対比してしまった)

・ノートの取りかた・カード型・垂直整理法など
 早い話が(Filofaxに端を発する)システム手帳があれば、ほぼ解決しそうな話題である。ただ、システム手帳といっても細かな部分で言えば、用紙を手帳に綴じる前に未使用部をバラ紙で持っていて書いた後に綴じるとかのちょっとした工夫はそれぞれ随所にあり、そういう僅かな工夫や知恵で同じシステム手帳もかなり違った利用効率となることを経験した。

 AppleMacを出した頃にハイパーカードというのがあった。カード型のDBであるが、それでなんでもやってしまうというものであった。Macを買ったらはじめから実装されていたので、持っていたが、「意ありて力及ばず」な部分だらけだったので、私は使わなかったが、その思想だけは大いに賛同できた。それは結局花開かなかったが、HP200LXのDBや、MS Accessなど、後々自分自身DB構築法に迷うことなく取り組めたのは発想としてのハイパーカードという先駆があったからだと思っている。


・ひらがなタイプ
 ワープロ⇒PC時代においてもキー入力がひらがな入力ローマ字入力かなど、細かな効率論はあったと懐かしく思う。そもそも和文タイプなど、一般人にとってはその存在を知る機会もろくになかったと思う。和文タイプライターについては、私が大企業の独身寮時代にその管理人がもともと和文タイプライター修理業というものを営んでいて、その時代の四方山話はとんでもないものだったが、ここに書くことはできない話なので別の機会に譲りたい(近日中にこの話題は書き残しておく必要があるので、メモ代わりにここで触れておく)。

 また、現代における知的云々で一番思うことは、Net時代、Webで実用的なことならなんでも見つかる時代に「探せば見つかる」という知恵を持つ人種と、それに気づかぬレベルに人を分けて考えるのが適当と考えている。

・日記関連(本書P162付近)
 特に面白いと感じた。現代のBLOGそのものである。ビジネスでそれを組織の階層で適宜抽出して上層に上げていく考え方が約20年前のLotus Notesであった。今はそれもBBSやBLOGで代用可能ではある。同じく当時のハイパーリンクの思想もそれらに通じる。ハイパーリンク=リンクは、今では空気のように至極当たり前の機能であり、環境である。リンクの概念を認識していない人は仙人だけだ。

 ついでに言えばデジカメの活用と撮った画像をタグつけて写真SNSのようなものに貼り付けておくのも画像でありながらもハイパーカード的DBであると言えよう。実際私はちゃんと動いていた時代のZORGではそうやって自分の画像を分類して、自分が撮った画像の分類検索に活用していた。ZORGで経験して思うのだが、クラウドで怖いのは、いったんクラウド頼みになった生活上、そのクラウドが機能不全に陥った場合である。安全策としては手間でも様子見がてら、次の手も打っておく…くらいしか今のところ思いつかない。

 大事なことは、手作業面でもそういう思想で自己情報整理ができてなければPC時代もその機能活用はうまくいかない場合があるということだと思うが、それも現代の若者には通用しなくなってきていると思う。なんせ、講義中に携帯でレポート書いてPCに転送して帰宅後にプリントアウトして提出する時代なのだから。


・表記の躾
 私自身、出版業に約13年身を置いて(大企業時代、設計業務5年、業務帳票を扱うスタッフを9年、それを合わせると27年、表記問題と格闘した。)仕事をしてきて思うが、いくら言ってもそれをどうして守ったほうがいいのかわからない人間のほうが多数派だったりするので、問題の根元の部分で偉い先生方と世間一般の乖離が生じる。教育以前の問題なので、人間というのは3歳あたりまでの躾が重大な問題だと今にして感じている。
 また、出版の表記基準や漢字カナの「開き閉じ」については、一般的には著作者が気遣いする必要はない。
 単行本は著作者の意思を尊重する場合もあるが、新聞連載や雑誌寄稿の場合はそちらの校閲が厳格であり、全部直されるのが通例。よって、普通は気遣い無用ということになる。


情報科
 あの時代に偉い学者は21世紀のこの世を見事に予見しているなと思う。そんな偉い人のうち、Jobsはその時代背景も手伝って、そのビジョンを具現化し、見事に世界を変えてしまった。


・情報管理の変遷

 システム手帳⇒PDAクラウド… という流れを振り返って思うが、その中でPDAそのものはほぼ絶滅し、スマホに姿を変えて重要アイテムに復活した。そのスマホクラウド思想がなければ今のように急速な普及はなかった。そんな現代だが、それでも私はシステム手帳をまだ少しだけ使っている。

 余談ながら私個人は、PDAの嚆矢たるHP200LXはまだ1台常用し、もう1台古いものをサブとし、さらに新品を1台ストックしている。しかし、常に肌身離さず持ち歩くことは6年前にやめて、今は仕事机の脇で、PC関連のIDとかPWの覚えとしての機能だけをDBで活用している。もうひとつ持ち歩かなくなった理由は、PDAよりクラウドのほうが便利だということで、私と勤務していた会社全体でのクラウド指向は6年以上前から実施・運用している。20年前のLotus Notes導入と、このクラウドについては、後になって、周囲の関係者に「だろ?」ってちょっと威張ってみせられた部分である。


 デジタルと紙の大きな違いは、紙のほうが原始的ながら、デジタルとは別の保存性を持つという点で相互に補完しあう関係で、愚直にスタックすることにより、デジタルでは見落としたり、失ったりしかねないものを残せる。もちろん検索に対する反応も相互補完しているのは周知のことである。

 写真でも同じで、重要性が少ないものはデジタル保存であるが、どうしても残したい写真は必ずプリントアウトしてファイリングする。デジタルはたとえ保存媒体が全く無事であってもデータそのものが壊れるということは多々あるからだ。


※余談ながら…
・『あの人の「手帳」が見たい!』ダイヤモンド社(1997)
 この本は書店で見つけて自発的に買った本だった。私自身Filofaxに傾倒し、HP100LX,同200LX2MB,同4MBと買って、手帳術に凝りに凝ってた時期に発刊された本であったが、いささかブームが過ぎ去った観ありのものであった。しかし、システム手帳ブームが過ぎ去り、PDAが一時期ながら全盛期となり、さらにノートPCもWindows95などで実用域に到達し、ある意味『いい時期』であった。自分自身、PDAをガンガン使っていた時期でもあったので、本書を「そうだろ、そうだよ」と相槌を打ちながら読んだものだった。

(つづく)


以下は読了後、改めてWeb上で検索したWikipedia以外の検索上位に位置したリストである。まだ読んでない。
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/chiteki.html
http://digi-log.blogspot.com/2007/03/1969.html
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/0/4150930.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20101210/355106/
http://www.kenkyuu.net/whatsnew/2006/04/book20060419.html
http://cyblog.jp/modules/weblogs/5419















                                            • おわり