森ゆうこ著『検察の罠』の残念な側面

一部で評価の高い参議院議員森ゆうこ氏の著した本。

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まず、最初に内容についてだが、自伝部分はともかくとして、
検察審査会の部分は大変興味深いものがある。

もし、この国の官僚機構(つまりは国家の根幹部分)がそこまで愚劣ではなかろうと思っている人間がいたとしたら、ちゃんと読んでおくべきだろう。私は残念ながら元々そんなもんだろうと思っていたし、さらに大部分については周知のことが多く、読んで驚く部分はどこにもなかった。

次に、読む前の話をしたい。

まず、森ゆうこが著者というのが残念。特に自伝部分で大学を8年ものうのうと行った部分に共感が持たれ辛い。
妻などは、「小沢」「大学8年」の2点でこの本を読むこと自体を完全拒否した。

調査は国会議員がやってもいいが、この内容で書籍を出すならIWJあたりから出すほうがよほど現代の大衆に抵抗感を持たれにくいだろう。岩上安身とか上杉隆が書かなければ根本的な説得力に欠けると思うのだ。森議員はどうしてジャーナリストにインタビューを受けるという形でこのような本を出さなかったのだろうか? 自身の売名行為という印象を与えれば、さらに損をする。

これも冒頭に持って来るべき意見だが、本のタイトルに小沢擁護の印象濃いフレーズが使われているのも今更感ありありで、実に残念。ここで読者以前に大衆からそっぽを向かれてしまう。読了後に「ああ、そういう意味ね」という納得がいけたとしても、何の意味もない。

これは著者だけの問題でもない。出版社(発行者)にもあると感じる。装丁だが、あの画像と題字デザインで大衆が書店で手に取ってみる… 以前に目に止めるのか?ということ。そのあたりのセンスを疑う。私なら書店で見かけても目もくれないだろう。

更に全部読んでみたが、森氏が何をいいたいのかがわからなくなった。たぶん、国会議員がこのような本を著すこと自体に疑問が残るからだろうと思う。

このような手段以外にもっとやるべきことがあるだろうと思うからだ。

本であれ、雑誌であれ、言論で勝負するのはジャーナリストがするものだろう。議員は議員らしく、議会で勝負しないといけない。もしそれができないとしたら、官僚機構はもちろんのこと議会でさえ、そのシステムに欠陥があるからであり、それをこのような場外乱闘的アプローチでやっても所謂ドンキホーテレベルではないだろうか。

議会が手をつけるべきは官僚機構の浄化作業以前に、人間(道徳)教育のやり直しだろう。

だいたい利権ムラとか、世界的に見ても最悪級の官僚天国的国家ができるのは、ノブレス・オブジージュのような伝統的躾に欠けるからだと思う。それは明治維新の瞬間見事に破棄されてしまった武士の躾(武士道)と言って差し支えないと思う。せめて品性・行儀くらいよくなければ話にならない。
有名な話だが、日露戦争当時、水師営での会談においてロシア側が驚いたのは日本側の礼節・行儀だったという。当時のサムライあがりの軍人たちは、そんなことは意識せずとも子供の頃からの躾で出来上がっていたと考えられる。明治の大人たちは、それら良き伝統も捨て去ったのだろう。実に情けない。だから大東亜戦争の頃には東条とか牟田口など、歴史に恥ずべき官僚が名を連ねることになるのだ。

とにかく学業がどれほどできても、あのインモラルな人間たちが国家を動かしていることの情けなさを大衆は感じていても、長い封建社会の弊害で「お上には逆らえない」との諦めだけは残っているのが重ねて残念である。だから、たまに現れてくる橋下(現大阪市長)とかが歓迎されるのだ。

意識・意図の伝達手段としての書籍出版という手法は、まだ有効性はあると思うものの、現代においてはtwitterやブログで読者とのインタラクティブなやりとりをして意識を醸成していくほうがよほど手間・時間・コストがかからずに効果も高いと思うのだ。なぜなら、そのメディア種別の人間の層が違うからだと考える。今、世の中を動かすコア層はほとんどが書籍類からITに移行しているだろう。

TV・ラジオ・雑誌・書籍出版という旧来のメディアがまだまだメジャーながら、サイレントメジャーに過ぎない。

3.11以前も以降もTVはそうして、サイレントメジャーを無関心・無意識のうちに置こうと躍起になっているのだ。そんな無関心な大衆に向かって書籍を出したところで、まず購読されにくい。書籍をわざわざ購読する層は、極めてマイノリティーになっているのだ。

だいいち、新刊が出てもその概略を知りたければWebで検索すればすぐに出てくる時代だ。だから、ITリテラシーがある程度あり、新刊購読の趣味・嗜好がなければ、まず買わない。

確かに誰もそこまでつまびらかにしなかった部分を公表したこと自体には意味があるし価値もある。森議員自身の今後についてのコミットメント的な部分もある。しかし、残念な事にこの本はそこまでのことだとしか感じられない。

子供の頃から私はときどきこの国がなぜ、このようなレベルなのかと考えることがある。

それは、米国やドイツ、フランス、イギリスなどと比べてやはり年月以外に「乱れた・荒れた」というレベルで国難そのものが足りなかったのではないかと思っている。

南欧の一部の国のように民族含めて根こそぎやられたら元も子も無くなってしまうだろうが、民族が辛うじて存続しているレベルで大きな国難をしのげば、それに懲りて二度と同じようなことにならないような施策も出るのだろう。
しかし、それも長い苦しみはあるのだろうとも思う。

ウィルヘルム二世即位(=ビスマルク放逐)〜ヒトラー自決までのドイツの歴史を見るにつけそう思っている。

日本はあれほどの国難には耐えられないと思っている。第一に軍事力(国力)が周辺の強国に対して明らかに足りない。ドイツのような民族としてヒステリックなまでの意識統一にも力不足だと思う。

島国の弱小民族なのに、強国の一翼であるかのような奢り高ぶりを国家運営の連中が持っているのだから困った国だと思うのだ。

それもこれも憲法第9条に逃げ込んで、本来の独立国家としての自覚もなく蟻とキリギリスのキリギリスをやっているのだから悲惨である。

不謹慎なことながら、GHQが甘かったのか? などと時々考えてしまう。
いや、米国は、自国に都合がいい傀儡日本に仕上げただけだったのだ。日本人はそういう意味で何の独立もできてないことを国民が気づくべきだったのだ。属国である限り、ゆるい国家運営で宗主国も国内も同時に「よしな」にできるのだ。しかしそれはあくまでも国家経済が破綻しなければの話なのだが。

それにしても情けないのは、これが与党だということだ。

野党ならまだわかるが、与党でこれだから子供はもう理解できないだろう。本件に関するのみならず、昨今の政局は理解に苦しむことだらけだ。
一言で言えば政党政治の命脈が尽きたかとも思えるような様相だ。
この国の政治システムは、このままでは済まないだろうと思っている。

そのようなことを久しぶりに想起させられた本だった。

■追記
本文中、思わず引用した『牟田口』について面白いものを見つけたのでリンク貼っておく。
http://bit.ly/g9HYIk
↑これは単なるおもしろネタだが、下の方はなかなかよくできている。
http://bit.ly/LZtlFJ