「脳が膿みそうになる」人の生息域と「喫煙者」生息域の話

私の梅棹氏著書読書感想文(当BLOG 2012.2.15分)
http://d.hatena.ne.jp/tessar/20120215/1329279049
にて、
「脳が膿みそうになった」という部分に関して先生からのメールで『上手い表現だと感心…』という、コメントを頂いた。

個人的には、「ヒット!」という喜びがあったw
妻からも「たぶん先生の周囲にはそういうレベルの人が今まで居なかったのよw」と、的確なコメントが出た。

実は、少なくとも私達の生息域(地理的地域と社会階層)では普通に使う言葉である。
要するに普段あまり脳を無理矢理フルパワーで活用しないタイプの人間にとって「脳が膿みそうになる」ことは日常茶飯事とまではいかないまでも、一年に一度や二度は使う慣用句である。

これに類する問題で、思い出したことがある。

愛煙家の生息域と嫌煙者の生息域の問題だ。

以前、職場にそこそこヘビースモーカーの独身者がいた。

(ここから余談)
そのあまりの本数に、業務の種類別点火インターバルの統計を取ってみたことがあったくらいだ。不得意な業務をする前の数時間はほぼ5分に1本くらいであった。それだけ煙草を焚かれたら周囲がイラついて仕事にならない。だからこちらも仕事をせずにそういう観察をして気を紛らわしていたw それだけやっても退屈なので最終手段として、パイプや葉巻を焚いて逆襲をかけ、より濃度の高いガスを発生させ、臭い紙巻煙草の煙を撃退するという中東戦争のようなバトルも継続したw(余談おわり)

その人は結婚願望があり、常にあれこれ悩んでいたが、
あるとき、私が「煙草やめたら対象者が倍以上になると思いますよ」と言ったら、不思議そうな反応をするので、もう少し補足説明をした。

私「だって、煙草をいやがる人が寄り付かないでしょうに」

彼「え? 僕の周りにはそんな(煙草を嫌がるような)人は全然居ませんよ…」

私「最初から避けているんですよ」

という平行線であった。
(ここから脱線)
彼「結婚相手が煙草を嫌ったら煙草やめてもいいですよ」
私「最初から寄り付かないからそれは無理です」
解説の必要はないと思うが、一応補足しておく。これは無理。煙草を吸わない人にだけ、嫌煙者は対象として見る。現実には喫煙者が結婚を決め、相手に煙草を嫌がられたから煙草をやめるというケースはある。しかし、慢性ニコチン中毒者が本当に残り一生煙草と縁を切れるかどうかは未知数であるし、できたとしても可能性は低くなる。そういう未練がましい性格がマイナス要素になりかねないとイメージできないだけでも損であることに全く気づいてない。(脱線おわり)


愛煙家の周りにはよほどの事情がない限り、嫌煙者は寄り付かないことに気づいてないのだ。

結婚対象者の人選は、さまざまな条件で選別されていくものだが、こと私に関しては、見合結婚した妻の(結婚相手の)第一条件は「煙草を吸わない」ということであった。

(ここから余談)
確かに私は紙巻煙草はやらない。だからニコチン中毒でもない(というか、体質的にニコチン中毒には全くならない)。しかし先のような事情もあったりして、パイプや葉巻は時として武器として使用する。そもそも紙巻は濃度を下げ、より深刻な中毒状態に持ち込み、何本吸ってもろくにニコチンを得られないようにして稼ぐという悪徳商法の見本のようなものだと考えている。そういう意味でも紙巻き煙草のおかげで、しっかり中毒になっている人を心底気の毒に思う。パイプでうっかり間違って気絶するほどの煙を吸えば、半年くらいは無煙でいられるのにwww しかも、煙草コストなど忘れていいほどの低料金でもあるw (余談おわり)