写真:私が初心者にGRDを薦めなかった理由。

写真で最も大切なのは、何だろうと時々思う。
それは視点だと思う。

ゲージツ云々をここで長々と論ずるつもりはないが、それでも改めて思うのは、写真というものは、自分自身が後で見返すものかも知れないし、もしかしたら他人にも見てもらえたらと思うようなものかも知れない。
そういうときに人前でカラオケで歌うこと、他人に読ませる手書きの文章の文字、他人に食べさせる食事などとおなじく、少なくとも私には、私が何を見てシャッターを切っているのかを知ってもらいたいという願望だけは強くある。
写真というものは、記念に撮りたいとかそういうところから始まるものだとは思う。古くは坂本竜馬が名刺代わりに自分の写真を配ったとあるように、自己表現や、覚えてもらう道具とか、そういうところから始まったと思っている。もちろんそれ以前の黎明期には、芸術以前に記録する道具としてのリアリズムがその大半だったとは思うが。

三脚を据えてじっくりと構図を考えて撮る風景写真とか、スタジオやロケでかわいい女の子のいい表情とポーズを撮るのも写真だが、私が冒頭『視点』と述べたのは、キャンディド・フォトすなわちスナップショットのときのカメラと被写体との距離のことだ。全てはここから始まると私などは経験的に思っている。そしてその距離とはイコール画角なのだ。

ご存知プロやハイアマチュアのサブ機として孤高の存在の歴代GRは、銀塩時代のGR21を除いて全てが28mm相当画角、つまり76度のアングルで被写体と対峙する。これが大半の初心者にはちょっと扱いづらいものだと思っている。そこであるときは、たとえばカシオのFC100とかのような広角端で38mm相当あたりを私は選ぶ。かつてのRollei35も40mmだったしCONTAX-Tも38mmだったようにこのあたりの画角は本当の鉄板なのだ。これでスナップショットの視点とスタンスをしっかり見につけておけば、その次に28mmを扱うときには上がりの画面の中がスカスカになるようなことが最初にあったとしてもそのうちなんとかなるようになると思う。いや、どっちみちなら最初から28mmでもいいではないかと思うかも知れない。でも実際に38mm画角でのフレーミングはどうか? ちょっとスカスカだろう。それが初心者の視点というものだ。そして、ズームレンズでも50mm付近、35mm付近もよく使うには使うが、入れ込んでくると28mmも実に多くなる。それは、被写体への踏み込み量が1歩増えるからだ。ま、あまりに抽象論なので、次回サンプル画像を添えて具体的な構図の基本的な取り方を解説したい。

ちょっと話はそれるが…

写真はやっぱり上手に撮るべきだと思う。その人間性が丸出しになる。面白い典型的な例がある。私の母は、よく海外旅行に行くが、その旅行仲間の写真がちょっとしたものなのだ。私はそれを長く眺めることが耐え難い苦痛になるのだ。それはまずド下手クソであること。そして撮影者2名のうちの1名は、旅先での記念写真以前の人物のみとくる。いったい何しに大金かけて海外まで出かけているのかと呆れる。私が写真を見ながら母に「下手で見るに耐えない」と、文句言っていると「それでも撮ってくれるんじゃのに」と弁護するが、それは違うと思う。見る人、そして旅行仲間に失礼だと思う。そんな下手クソな人間に撮らせるほうも撮らせるほうだと思う。ちゃんと撮れる人間がどうして撮ってやろうとしないのか、その人間性すら疑いたくなるのだ。母は、この前、自分の母親(私の祖母:故人)の悪口を珍しく言っていた。日本舞踊が好きでその師範もしていたのだが、母が言うには「たいして美人でもないのにすまし顔でキメるあの神経は…」と。その話の後だけに、私は母に食ってかかったのだ。踊りは見過ごせないのに写真は目こぼしするのかとw どっちも同じことだろうというのが私の意見だ。ヘタクソな写真を撮って差し上げるのは、失礼千万だと私は思うのだ。

つづく