ついに旅順要塞戦の軍人墓に遭遇。

普段、散歩やサイクリングで墓地を通りかかるたびに、没年と戦没地を読ませてもらうのが最近の習慣になっている。

この歳になると、墓碑文を読ませていただくことで、我々現代に生きる人間の先祖供養としたいような気分になるのだ。

その軍人墓も、日清戦争当時のものからはじまり、ガダルカナルインパールなど、太平洋戦争の有名な激戦地での戦没者にもよく遭遇してきたが、日露戦争の『旅順』はまだだった。

今回発見したお墓は、1904年8月24日、東鶏冠山保塁での戦死。第一回総攻撃(明治37年8月19日〜24日)のときの戦没者のようである。

近年疑問に思うのは、日清、日露、第一次大戦、シベリア出兵、ノモンハン事変満州事変、大東亜戦争とあるとき、いずれの戦争も都市部と田舎と平等に徴兵したのだろうか?ということ。田舎の墓地で古い軍人墓が目立ち、都市部で昭和の墓が多く見られるのは単に太平洋戦争が徴兵数(戦没者)が桁違いに多いからだろうか?と。大東亜戦争の戦死者(台湾・朝鮮出身兵士含)と日露戦争とでは単純に25倍程度あるが…。


機材:EOS5D2 50mmF1.8Ⅱ F2.8 1/1000sec ISO Auto(200)
こういう説明写真であっても背景処理はフルサイズが楽。
普段使いでもコンデジはもちろん、4/3よりも焦点深度的には快適。


今回改めて見つけた参考になるリンク。
日露戦争特別展Ⅱ(国立公文書館
http://www.jacar.go.jp/nichiro2/index.html